Siteseeing tour  社会科見学 ハザマの仕事
Siteseeing tour  社会科見学 ハザマの仕事  

建設アウトサイダーのイワサキ (イラストレーター)&フジタ(ただの工事現場フリーク)がハザマの仕事場を訪問、見学記をお送りします。

おことわり:サブタイトルのsiteseeingは造語です

←社会科見学のしおりはクリックしてみてね

■やってきました、福岡の修験道場、英彦山

今回訪れたのは、福岡県と大分県の県境に近い田川郡添田町にある英彦山(ひこさん)神社、その神社の「奉弊殿」と呼ばれる建物の修理工事の現場。

羽田を飛び立ってから、バス・電車を乗り継ぎ、4時間半。

ローカル線の駅員さんに「女の人3人、今乗るから、発車待って〜」と叫んでもらい、いまや走り出そうとしていた電車に飛び乗ったりなどしながら…。待たされたお客さんの冷たい視線を背中に感じつつ…。あ〜、やっと最寄駅、彦山に着いた(山は英彦山、駅は彦山)。

神社がある英彦山は、平安初期にはすでに文献に登場する由緒ある山。中世以降、日本三大修験道場の一つとして栄えてきたという(ちなみに、あと二つは山形の羽黒山と熊野の大峯山)。 
山伏が修行する、そういうふか〜い山中を、今度は徒歩で現場に向かう途中、道が分からなくなり、携帯電話で酒見英弥所長にナビしてもらいながら、たどりつく。あちこちで迷惑をふりまきながら、ようやく社会科見学、スタート。

どうやってたどりついたのか?
クリックしてみてね!

災害前の英彦山神宮

修復工事中の英彦山神宮
■400年近い歴史を持つ重要文化財が損傷

この神社のメインの建物にして重要文化財の奉弊殿は1616年建立。江戸幕府が開かれてまもなくだ。その奉弊殿が、昨年9月の台風が引き起こした裏手の崖の土砂崩れによって、背中から足元をすくわれたような形で、一部が壊れただけでなく、建物が最大で約50センチ、すべったように動いてしまった。当然柱も傾いた。

この現場、ハザマの社員は酒見英弥所長ひとり。歴史的建造物を手がけるのは、熊本城の復元工事に続き2件目だという所長は、かつて、ネパールのすんご〜い奥地の、セメントプラント建設現場にも行っていたことがある。現場経歴多彩。「ダイエット中」と言いながら、昼食にカップラーメンを食べていた。「小どんぶりだから大丈夫」って、2個も食べたら意味ないですよ〜。それはさておき――。
「工事は、文化庁と添田町につくられた復旧委員会の調査・計画に従って進められています。奉弊殿がかつては寺で、明治の廃仏毀釈運動によって仏像が破壊されたことは記録にあるんですが、今回の調査・工事中に土砂の中からその仏像の背中だったと思われる木の断片が発見されたりしました。そこには奉弊殿建立した人の名前や仏像が作られた年号などが書かれていたので、さすがに捨てられなかったのかもしれませんね」

その年号は西暦にすると1618年。目の前の、この板切れにしか見えないものは仏様の背中で、この文字は387年前に書かれたわけで。さすが、重要文化財。しばし、時の流れと人の世の移ろいに思いを馳せる社会科見学隊でありました…。
で、時を現代に戻して、すべった建物をどう元に戻すのか、のお話に・・・。
■壊れたところは直す、では、ずれたものは、どうやって元にもどすか?

「ごく大雑把に言うと、まずH鋼で柱を押さえ、全体をジャッキアップします。建物正面と背面では、ずれの大きさが違うので、正面は3センチ、背面は10センチ持ち上げました。これを揚家って言います。
そして次に、柱のずれの大きさや方向は、下図のようにあちこちさまざまなので、動かしたい方向に従って、コロを入れたり、テフロン板を入れたりしました」

見づらいですが、災害直後の柱の位置。
クリックすると大きくなります。

動かした後の柱の位置。
クリックすると大きくなります
「コロとテフロン板の違いは?」
「コロは一定方向に動かしたいものの下(右写真参照)、テフロン板というのは、世界一摩擦係数が低いと言われている部材なんだけど、コロで動かしている部分とのバランスで方向自在にしたい柱の下(左写真参照)に入れました」
「はあ、なるほど…」

こちらがテフロン板

こちらがコロ
「次は曳家と言われる作業。柱に巻きつけたワイヤーロープをウインチで曳いて、柱をもとの位置に戻します。これも正面側と背面側のずれの大きさが違うので、途中に動滑車を入れ、かかる力を調節できるようにしました。ほら、動滑車を入れると引く力が2分の1になるって習ったでしょう?」
「・・・」(物理はいつも38点)

でも、仕組みはなんとなく分かった!
ただ、何のハイテク技術も使わずに、昔風とも思えるこうした作業で、木造とはいえ、こんなに大きな建物が動くんですねえ。だが、この方法でもっとすごいことが起きた。

あちこちの方向に動いた柱は、この数回の曳家と微調整でそれぞれ元の位置に戻った。そして、柱の位置が元の礎石の上に戻ると、驚いたことに傾きも自然に元に戻ったという。
「これを見た時は、木ってすごいな〜って思いましたよ」
建物自身に復元力があるのだ。途中何度か修理の手が入っているとはいえ、390歳にもなろうという建物のすごさ、つくった時代の職人の技術のたまもの。

■ディティールに宿る魂

大きな作業が終わったら、次は細かい修復作業が始まる。

奉弊殿の屋根は柿葺き(こけらぶき)。これは、平均板長1尺×厚み1分×葺き足1寸程度の椹(さわら)の木の板を重ねていく葺き方。この職人集団、児島工務店さんは、日本全国あちこちの寺社を手がけているという。

急傾斜の屋根に椅子をかけ(右写真が屋根の上の様子)、1枚1枚竹釘(竹ひごを炒った釘)で打っていく。技術以前に運動神経の悪い人にはとうていできない仕事。見ているこっちがくらくらしてくる。


木の板なのに、きれいにカーブしてる!

彩色をするのは、代々、日光東照宮の漆塗り彩色工事を手掛けてこられた、岸野美術漆工業(株)の岸野さん。屋根に近い足場で作業中のイケメン岸野さんは15代目の塗師。関東と関西方面の色合いの違いや顔料などについてうかがった。ついでに誰か不心得者が年齢まで聞いていた。ちなみに日光東照宮の竣工は1617年。奉弊殿建立の翌年だ。そこはかとない歴史ロマンの香が・・・。


■文化財修復の担い手として


ハザマは、かの有名な名古屋城の修復、宮城県・白石城の復元、愛媛県・大洲城の復元など、多くの文化財修復・復元工事を手がけている。

「ゼネコンでどうやって昔の建築の修復を学習するんですか」
「経験、ですね。物の名前からして、普通の建築工事とは違うからね。熊本城での経験が役立ったことの一つは、古建築用語、部材名称などの特殊な言葉を学習してたことかな。ちなみに、『子は鎹(かすがい)』とか『鎬(しのぎ)を削る』なんて慣用句になって現在も使われている言葉もたくさんありますよ」

誰かがこういう技術と知識を持っていなければ、古いものを伝えていくことができなくなってしまう。技術・技能を継承していくことが、文化財を次の世代に残すということなのだ。

重要文化財であるこの建物を修理するためには、綿密な調査、修理計画、文化財を手がけられる職人さんを集めること、特別な材料の調達、災害以前からの傷みは修復していいのかという判断など、関係機関と連携しながら進めることがたくさんあるという。仕事のアイテムも特別なことが多いし。思わず、「大変そうですねえ」と嘆息したら、
「面白いと思ってやれば、大変なことなんてないよ」という言葉が返ってきた。うむ、仕事はすべからく、そうでした。


足場に立って、連なる山々を眺める。初秋の空に雲が流れ、鳥の声が深い山に吸い込まれていった・・・。