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カテゴリー:ちょいネタ

2006年10月04日

明治神宮薪能の演目解説(その2)

管理人のくりです。薪能まであと5日となりましたが、台風が発生してしまいました。天気図とにらめっこしながらの準備となっています。
先だっての狂言「髭櫓」のあらすじに続き、今日は能「枕慈童」のあらすじをご紹介します。こちらも実行委員会の増田正造先生執筆によるものです。

能「枕慈童」(まくらじどう) 塩津哲生(喜多流)
中国。時は魏の文帝の世。勅命を受けた使いが、薬の水湧き出る水源を探りに山の奥に分け入ります。菊咲き乱れた仙境に、慈童という童顔の仙人が庵に住まっていました。太古の周の穆王(ぼくおう)に仕えた少年が、永遠の美貌と若さを保っていたのです。王の枕をまたいだ罪で山に流されるが、少年を哀れんだ王が、その枕に法華経四句の偈 (げ・詩の形で仏理を説くもの)を書いて与えました。「一切の功徳を備え、慈悲の眼で衆生をみる。福と寿は海のごとく無量。このゆえにまさに頂礼すべし」。その法華経の妙文を菊の葉に写すと、菊の葉の露が不老不死の薬となって、彼は七百年の老いぬ命を得たのでした。慈童は、勅使の前で楽しげに舞い、この寿を帝に捧げるというめでたさに終わります。
 特に喜多流の「枕慈童」は、穆王が釈迦の説法に連なったことが語られ、偈の由来が舞で舞われるのです。皇子誕生を祝う言葉もあって、慶祝に選ばれた演目。なお観世流では「菊慈童」と言い、作家・円地文子に、能の老名人を主人公とする『菊慈童』の名作があります。
 魏の文帝は『三国志』で有名な曹操の子供。周の穆王とは実は一世紀以上隔たっています。穆王は、賢王として名高く、能の「西王母」にも描かれたように、三千年に一度実る桃を捧げられたという伝説があります。釈迦の直弟子というのも、もちろん虚構です。
 古代中国の逸話に託し、聖天子の御代を祝福する能であり、深山の霊気、潔い水の流れ、菊の清冽な香りが、集う者をめでたく祝福に包み込みます。
 塩津哲生は、昭和二十年生まれ。先代宗家喜多実の高弟として、喜多流の剛毅な芸風を継いでいます。

色とりどりの菊が舞台を彩り、シテ方の装束も華やかな菊が並ぶ美しいものです。その美しさは舞台を照らす月の光と薪の明かりに一層輝きを増すことと思います。ぜひ晴天の下の開催でありますように。


投稿日時 : 2006年10月04日 20:08

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