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カテゴリー:社員ブログリレー
2006年04月24日
世界を周り巡って今は台湾!
日商間組營造股份有限公司台灣分公司 中野寛治です。(管理人注:写真の右から二番目が中野さんです)
こちら台湾営業所は、ハザマとしては再度の台湾進出を、昨年、支店開設という形で実現し設置されました。台湾への最初の進出は1970年代後半です。台湾での高速道路建設計画の一環で「濁水渓橋梁工事」を施工しております。その後、現地法人を設立し「台北ポンプ場建設工事」や「新光三越仁愛ビル新築工事」を手がけました。案件の減少などの理由から、1990年代はじめに一旦台湾を去り、今回は二度目の事務所開設となりました。
私が当地に赴任して1年が経とうとしております。営業所開設当初から沢山の方々からのご支援をいただきました。、ようやく情報収集、見積徴収をして入札に参加できるようになりました。この場を借りて皆様に御礼申し上げたいと思います。
ところで、私の海外現地生活は「地の果て、アルジェリア!!」から始まりました。
アルジェリア東部、チュニジアの国境手前のアンナバ市近郊エルハジャールでの転炉工場新設工事です。ハザマ海外プラント工事のハシリでした。美味しい物が目白押しで、パエリアをはじめに地中海料理!オレンジ!メロン!ブリック(とうもろこしの粉皮で包んだコロッケ)などなど。忘れられないこと、それは砂漠旅行。それにコバルトブルーの地中海で泳いだこと。
次の海外現場は、今日の私の原型を育ててくれたネパール・クリカニ発電所工事です。
「地の果て、アルジェリア」から「山の彼方・時代の彼方のネパール」へとスリップしました。着工1年後に発生した大水害、ストライキ、トンネル貫通式、発電開始通水式などなど、昨日のような思い出です。
現地人コックのメニューに味噌汁・巻き寿司・天婦羅・ビーフシチュー、クリカニ式松前漬けなどを加えました。 それと、ネパールのマンゴーは最高の味です。
国際事業支店管理業務が長く続いた後、ようやく都市名を言えば分かっていただける「微笑みの国タイのバンコク」が3番目の赴任地です。
沢山のトロピカルフルーツ、タイ料理を食べ、下手くそなゴルフも何度かプレーしました。
2年ほど前に、メキシコへの赴任を独断専行。半年間の短い滞在でしたが、北アメリカ大陸駐在と闘牛の観戦が実現しました。
おとなしく帰国を観念していた所、ここ台湾への赴任が発令され今日を迎えております。
アフリカ、西アジア、東南アジア、アメリカ、そして今、台湾!!
世界をほぼ一周しました。南アメリカ、中央アフリカ、ロシアそして南極もまだ残っております。ハザマの現場ある限り何処にでも行って見たいと思います。
(管理人注:一枚目の写真は、中野さんが参加された書画展-2005年5月-での一コマで、真ん中に映っておられるのは、書家の黄剣嘯(Huang Jian Xiao)さんとのことです。当日、ハザマゆかりの言葉「微粒結集」を書いていただいたと言うことで、今もその書は台湾営業所の中野さんの席に掲げられているそうです-二枚目の写真がその様子-)
引続き、私など足元にも寄れないくらい多くの国とプロジェクトを担当している、フィリピン・ルソン高速作業所井上部長(最初の海外現場は台湾でした)にバトンタッチします。
投稿日時 : 2006年04月24日 13:00
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コメント:
アルジェリアエルハジャール
もしかすると昭和55年(?)の川重・新日鉄案件?
投稿者 通りすがりのもの : 2006年05月09日 00:16
台湾の中野です。
私が海外工事で最初に従事した「アルジェリアのエルハジャール転炉工場新設工事」は、川崎重工さんからの発注でした。
私が従事したのは、当初の1.5年程度でしたが工事は3年続きました。当社の役割は、杭打ち工事とプロジェクト土建工事全般の技術指導でした。
ハザマ職員が20名弱と、当社の協力会社の日本人も20名程度がこのプロジェクトに参加しました。プロジェクト全体では、200人以上の日本人技術者、事務・営業担当をはじめ、お医者さんやレントゲン技師等の方々、それと確か川崎汽船所属のコックさんたちが従事されました。日本人コックさんたちの料理は、毎日が高級レストラン並みのものだったと記憶しております。
この現場で働いた当社職員はその後も海外工事で大いに活躍しております。
また、川崎重工さんや他の関係者の方々とは今でも親交を続けさせていただいております。
投稿者 中野寛治 : 2006年05月09日 10:28
長谷川と申します。恐れ入ります。
私がまだ20代始めのころで、九州の八幡でエルハジャール案件の転炉制御プログラムを作成しました。
電気事情が悪いので、通常のコンピュータでなくてHPのパソコンでした。
室蘭からの操業指導2人と川重のかたに操作説明をした覚えがあります。
投稿者 長谷川利治 : 2006年05月09日 15:59
長谷川さん、コメントありがとうございます。
「アルジェリア・エルハジャール転炉工場新設工事」に新日本製鉄の方々が関与されていたことを思い出しました。
確か、プロジェクトマネージャーの次席には新日本製鉄出身の方が赴任されていたと記憶します。
川崎重工の日本側でのプロジェクトマネージャーはIさん、エルハジャール現場のサイトマネージャーはFさんだったと思います。
私は、愛知県の知多半島で小学校から高校までを過ごしたのですが、中学校時代に新日本製鉄名古屋製鉄所(当時は東海製鉄と言いました)が操業をはじめ、富士製鉄の室蘭や釜石などから多数の転校生が来ておられました。その後に富士製鉄と八幡製鉄が合併し、現在の新日本製鉄が誕生したと思います。
当社は、同時期にアルジェリアで「ソナコム自動修理工場」を国内10ヶ所で建設しており、その後アルミの精錬工場等建築工事や、ガルガルダム新設工事を手掛けております。
再び、アルジェリアでのプロジェクトに従事できることも私の夢です。
投稿者 中野寛治 : 2006年05月09日 18:26
中野様
長谷川です。
ご丁寧にありがとうございます。
名古屋地区といえば、昔ですが大同特殊鋼と愛知製鋼の仕事で東海市の大田川にそれぞれ半年ほどホテル住いをしてました。
私は、高等専門学校という5年生の工業系学校の全国OB組織に関わってます。(全国で50校以上?)
私は機械の落ちこぼれで、ソフトをやってます。
もっと建築・土木・プラントエンジニアリングに関心を持つ子供が増えて欲しいと感じます。
中野様、ハザマのエンジニア皆様のご活躍を(金になりませんが)陰ながら応援させていただきます。
プロジェクトXで観た神部社長は良かったですね。
では。
投稿者 長谷川利治 : 2006年05月10日 01:09
長谷川様の心温まるご支援まことににありがたく、感謝いたします。
大同特殊鋼、愛知製鋼などの会社名や大田川などの地名は、私にとっても懐かしい記憶です。
私は、中学、高校を横須賀中学校と横須賀高等学校で過ごしました。
長谷川様はじめ多くの技術者の方々が当社の支えになって頂いていること、大変心強く、大きな励みとなります。
「プロジェクトⅩ」に登場した当社の社員、協力業者の方々は海外で従事している我々にとっても大きな誇りです。
当社の社員ブログリレーには時々「微粒結集」の言葉が出てきます。
この言葉は、神部元社長の言葉であり当社社員の精神的な支えにもなっております。
私が、台湾赴任早々の時期に老書家(95歳)に書いていただいた言葉もまさにこの「微粒結集」でした。
一個は小さくても、皆が固く結びついて大きな目標に向かって邁進していきます。
投稿者 中野寛治 : 2006年05月10日 11:29