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カテゴリー:おしらせ
2005年10月26日
あるハザマOBの「黒四ダム回想録」その2
管理人のくりです。
昨日に引き続き、ハザマOB・岡本氏による「黒四ダム回想録」の後編です。
それでは、どうぞ。
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【食事の様子】
僻地であるから食堂、飲食店など入り込んでいた。食堂は300人くらいが一度に食事をするので戦場のようであった。朝食は卵、めざし、味噌汁、漬物くらいで昼は弁当(忘れて大町トンネルを抜けダムに入ると大変、ある土木係が弁当を忘れて私のところに相談にきた事もあった)夕食は割合に魚、肉等を加えていた。食堂では一切飲酒を禁じられていた。
【伊勢湾台風襲来】
1959年9月26日の伊勢湾台風のときも、同僚と麻雀をした後11時頃就寝した。外は豪雨であった。しばらくして大声で誰か叫ぶ声を聞き廊下に出ると「危険だから早く退避せよ!」との事、とりあえずパジャマのまま雨具を着けて外へ出た。方々で色々大声で叫んでいた。十分くらい後に私のいた宿舎建物2棟は激流に飲まれ流失した。ほとんど全員が全てを失った。危機一髪で助かった。この時土石流の凄さを初めて知った。漆黒の峡谷にズシンズシンと地震のように土地を振動させ、畳の大きさくらいの石が次々と流れるものすごい激流だ。山膚にすがりついて助かった。翌朝になって、重機の一部は流失し、せっかく掘削したダムの基礎も土石流で埋め尽くされてしまった。本部との連絡も出来ず、唖然として眺める他なかった。急流であるため2,3日で減水したが復旧工事は大変なものであった。
私はトンネル担当で被害は少なかった。本部からの呼び出しがあり名古屋市内の被害が大きいという。応援隊を出す関係があるので君は先行して状況偵察して来いとのこと、部下2名を連れてジープで出発した。木曾谷を下ったが道路は切断され、家屋は流失・倒壊、学校が砂利に埋まり棟だけ出ていたところもあった。ジープを押したり仮道をつけてやっと名古屋市内にたどりついた。大きな材木が市内に転がり被害は甚大であった。これは大変と駆け回り調査して本部に報告した。本部も応援隊を繰り出した。
【黒部の章、最後に】
この工事における犠牲者には謹んで哀悼の意をささげ、ご冥福をお祈りしたいと思う。また、多くの私の部下たちが寝食を忘れ、輝かしい成果をあげたことに感謝の意を捧げたいと思う。
悪戦苦闘をともにした多くの社友に対し、別れを告げたが私自身も大きく成長した。この経験が大きな宝となってその後役に立つ事となった。
投稿日時 : 2005年10月26日 12:29
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