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カテゴリー:おしらせ

2005年10月25日

あるハザマOBの「黒四ダム回想録」その1

管理人のくりです。
 社員ブログリレーで大谷氏から紹介があった、ハザマOB岡本静人氏の回想録(抜粋)をお届けします。抜粋とはいえ、少々ボリュームのある内容ですので、本日と明日の2回に分けて掲載させていただきます。イラストはすべてご本人によるものだそうです。
 それでは、「もうひとつのプロジェクトX・黒四ダム回想録」その1をご覧ください。

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【黒部現場への赴任】
社長激励.JPG 1959年5月、黒部ダム建設に臨時出張3ヶ月と命ぜられ、○○土木係と二人旅行気分で出発した。初めての中央線に乗込み、木曾路の新緑を眺めながら信州塩尻駅から大糸線に乗り換え、松本を経由して終点大町駅に着いた。白雪に輝く穂高連峰に驚きの気持ちであった。大町駅には間組の送迎用バスが待っていた。ダムの現場に行く人であろうか、ほぼ満員であった。やがてバスは発車、小さな街筋を抜けてやがて新設ダム専用道路へ入った。両側に未だ残雪があった。山は新緑に映えて美しいものであった。
~(中略)~
「君たちはダムの現場に入って掘削工事の方へまわってもらう」と言う、3ヶ月の臨時出張だからと軽い気持ちで答えていたら、やがて転勤の通知を見せて「これから突貫工事に入るからがんばってくれ」と言う。私は驚いて「3ヶ月の出張で来た」と言ったら「このとおり転勤になっている」と言われた。

【一時担当されていたグラウト工事】
 やっと体制も整い大々的に着工した。黒部ダム地点は岩盤に亀裂が多く、ダム直下30m付近から60℃の温泉が多量に噴出することなどもあり、カーテングラウトをはじめ多量に実施された。工事金額も大きく、毎日の作業も大変多忙であった。トンネル内に大々的に作業指揮所を作り、冬季も下山せずがんばった。積雪は数メートルに及びダム本体工事は中断しほとんどの職員は下山して去ったが、私たちグラウト部隊は越冬し工事施工に専念した。外界は積雪に覆われ吹雪は想像以上であり、初めての経験で驚いた。よく登山者の遭難の話は聞いていたが凄まじい雪崩を何回も目撃し、実態をみて恐ろしいことと思った。朝はトンネル内に大きな檜の浴槽を作り、温泉を導入していたので快適であった。次第と私の思い通り作業は進捗していった。

【当時の神部社長に関するエピソード】
目玉焼き.JPG 神部社長は常に白いワイシャツで半袴で掛絆、地下足袋姿で日の丸の大きな旗を車の先頭へたてていた。大町の駅に着くと地元の小学生が沢山行列して日の丸を振って迎える。トラック2台くらい子供の土産の菓子等満載持参し配る。またピアノを各校に寄贈する等、地元に対して気配りをする。また現地に地元の人を集め神部一生のお願いと協力を要請し野外宴会をするが、そのときは広島・三原の「酔心」の銘酒を何百本もならべるも、少しでも曲がっていてはと測量機械で調整する気使い等、現場の配慮も大変であった。現場に到着しても次々と面接し、睡眠時間も3,4時間くらいであったと思う。
~中略~
 二人、対面して現場のことを聞かれ話しているうちにつまみとして目玉焼きを出してくれた。社長は私に「この目玉焼きの意味がわかるか?」と聞いた。私が「分からぬ。」と答えると「これは名古屋城の金の鯱だ。そして安くて早くてカロリーがある。」と教えて笑っていた。


投稿日時 : 2005年10月25日 13:38

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