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2005年10月26日
あるハザマOBの「黒四ダム回想録」その2
管理人のくりです。
昨日に引き続き、ハザマOB・岡本氏による「黒四ダム回想録」の後編です。
それでは、どうぞ。
内容は「続きを読む」をクリックしてください。
【食事の様子】
僻地であるから食堂、飲食店など入り込んでいた。食堂は300人くらいが一度に食事をするので戦場のようであった。朝食は卵、めざし、味噌汁、漬物くらいで昼は弁当(忘れて大町トンネルを抜けダムに入ると大変、ある土木係が弁当を忘れて私のところに相談にきた事もあった)夕食は割合に魚、肉等を加えていた。食堂では一切飲酒を禁じられていた。
【伊勢湾台風襲来】
1959年9月26日の伊勢湾台風のときも、同僚と麻雀をした後11時頃就寝した。外は豪雨であった。しばらくして大声で誰か叫ぶ声を聞き廊下に出ると「危険だから早く退避せよ!」との事、とりあえずパジャマのまま雨具を着けて外へ出た。方々で色々大声で叫んでいた。十分くらい後に私のいた宿舎建物2棟は激流に飲まれ流失した。ほとんど全員が全てを失った。危機一髪で助かった。この時土石流の凄さを初めて知った。漆黒の峡谷にズシンズシンと地震のように土地を振動させ、畳の大きさくらいの石が次々と流れるものすごい激流だ。山膚にすがりついて助かった。翌朝になって、重機の一部は流失し、せっかく掘削したダムの基礎も土石流で埋め尽くされてしまった。本部との連絡も出来ず、唖然として眺める他なかった。急流であるため2,3日で減水したが復旧工事は大変なものであった。
私はトンネル担当で被害は少なかった。本部からの呼び出しがあり名古屋市内の被害が大きいという。応援隊を出す関係があるので君は先行して状況偵察して来いとのこと、部下2名を連れてジープで出発した。木曾谷を下ったが道路は切断され、家屋は流失・倒壊、学校が砂利に埋まり棟だけ出ていたところもあった。ジープを押したり仮道をつけてやっと名古屋市内にたどりついた。大きな材木が市内に転がり被害は甚大であった。これは大変と駆け回り調査して本部に報告した。本部も応援隊を繰り出した。
【黒部の章、最後に】
この工事における犠牲者には謹んで哀悼の意をささげ、ご冥福をお祈りしたいと思う。また、多くの私の部下たちが寝食を忘れ、輝かしい成果をあげたことに感謝の意を捧げたいと思う。
悪戦苦闘をともにした多くの社友に対し、別れを告げたが私自身も大きく成長した。この経験が大きな宝となってその後役に立つ事となった。
2005年10月26日 12:29 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月25日
あるハザマOBの「黒四ダム回想録」その1
管理人のくりです。
社員ブログリレーで大谷氏から紹介があった、ハザマOB岡本静人氏の回想録(抜粋)をお届けします。抜粋とはいえ、少々ボリュームのある内容ですので、本日と明日の2回に分けて掲載させていただきます。イラストはすべてご本人によるものだそうです。
それでは、「もうひとつのプロジェクトX・黒四ダム回想録」その1をご覧ください。
内容は「続きを読む」をクリックしてください。
【黒部現場への赴任】
1959年5月、黒部ダム建設に臨時出張3ヶ月と命ぜられ、○○土木係と二人旅行気分で出発した。初めての中央線に乗込み、木曾路の新緑を眺めながら信州塩尻駅から大糸線に乗り換え、松本を経由して終点大町駅に着いた。白雪に輝く穂高連峰に驚きの気持ちであった。大町駅には間組の送迎用バスが待っていた。ダムの現場に行く人であろうか、ほぼ満員であった。やがてバスは発車、小さな街筋を抜けてやがて新設ダム専用道路へ入った。両側に未だ残雪があった。山は新緑に映えて美しいものであった。
~(中略)~
「君たちはダムの現場に入って掘削工事の方へまわってもらう」と言う、3ヶ月の臨時出張だからと軽い気持ちで答えていたら、やがて転勤の通知を見せて「これから突貫工事に入るからがんばってくれ」と言う。私は驚いて「3ヶ月の出張で来た」と言ったら「このとおり転勤になっている」と言われた。
【一時担当されていたグラウト工事】
やっと体制も整い大々的に着工した。黒部ダム地点は岩盤に亀裂が多く、ダム直下30m付近から60℃の温泉が多量に噴出することなどもあり、カーテングラウトをはじめ多量に実施された。工事金額も大きく、毎日の作業も大変多忙であった。トンネル内に大々的に作業指揮所を作り、冬季も下山せずがんばった。積雪は数メートルに及びダム本体工事は中断しほとんどの職員は下山して去ったが、私たちグラウト部隊は越冬し工事施工に専念した。外界は積雪に覆われ吹雪は想像以上であり、初めての経験で驚いた。よく登山者の遭難の話は聞いていたが凄まじい雪崩を何回も目撃し、実態をみて恐ろしいことと思った。朝はトンネル内に大きな檜の浴槽を作り、温泉を導入していたので快適であった。次第と私の思い通り作業は進捗していった。
【当時の神部社長に関するエピソード】
神部社長は常に白いワイシャツで半袴で掛絆、地下足袋姿で日の丸の大きな旗を車の先頭へたてていた。大町の駅に着くと地元の小学生が沢山行列して日の丸を振って迎える。トラック2台くらい子供の土産の菓子等満載持参し配る。またピアノを各校に寄贈する等、地元に対して気配りをする。また現地に地元の人を集め神部一生のお願いと協力を要請し野外宴会をするが、そのときは広島・三原の「酔心」の銘酒を何百本もならべるも、少しでも曲がっていてはと測量機械で調整する気使い等、現場の配慮も大変であった。現場に到着しても次々と面接し、睡眠時間も3,4時間くらいであったと思う。
~中略~
二人、対面して現場のことを聞かれ話しているうちにつまみとして目玉焼きを出してくれた。社長は私に「この目玉焼きの意味がわかるか?」と聞いた。私が「分からぬ。」と答えると「これは名古屋城の金の鯱だ。そして安くて早くてカロリーがある。」と教えて笑っていた。
2005年10月25日 13:38 | コメント (0) | トラックバック(0) |
もうひとつのプロジェクトX
佐々木さんからバトンを受け取りました広島支店、錦海作業所の大谷です。
現在、岡山県の瀬戸内市で護岸工事を担当しています。瀬戸内海は風光明媚で穏やかで…と言いたいところですが昨年、今年と台風や異常な高潮で海岸沿いはあちこちで被害がでており一概にもそうは言えないようです。
さてみなさん、先日のプロジェクトX、御覧になりましたか?
この原稿執筆時にはまだ放映されていないので私も映像を見ていないのですが、多分すばらしいものでみなさんもいろいろ考えることがあったと思います。
私、現在の業務の関係で当社OBである岡本静人氏と懇意にさせていただいております。氏は1959年から1962年まで、実際に黒部ダムの建設工事に従事され、これまでお話をさせていただく中で当時の様子や苦労話等の貴重な体験談を聞かせてもらっていました。また、それらをご本人が個人的に回想録としておまとめになり大変臨場感あふれるイラストとともに保存されていらっしゃいます。公式の資料には残っていないようなお話も多く記録されており、当時の状況が頭の中に鮮やかに浮かんでくるようなすばらしいものです。それを見せていただいた時には、私も大変感動するとともに何かの機会があればぜひとも多くの人に紹介させていただきたいと思っていました。
今回、テレビ放映に前後し、偶然にもブログ掲載原稿執筆の依頼を受け、ハザマの後輩たちのためにもぜひとも紹介させていただけないかとお願いしたところ、快く了承していただきました。紙面の都合でほんの一部となりますが紹介させていただくことにします。
(事務局注:本エントリーとは別に掲載させていただきます)
今回、回想録(黒部ダムに関する部分だけでも全20ページ以上にわたる)のほんの一部ですが紹介することができました。台風や雪崩といった自然災害との戦い、秘境であるゆえの苦労、このような多くの苦難を諸先輩方が一つ一つ乗り越えてこられた上に、現在の我々が働いているハザマがあるんだなーとあらためて考えさせられるとともに、我々も数十年先には後輩たちに自分のやってきた仕事を誇りを持って語れるようにがんばらなくてはと心を新たにしています。
みなさんはどうお感じになりましたか?
では次の倉敷くんにバトンタッチしたいと思います。
2005年10月25日 13:30 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月21日
液状化を再現!テレビで放映
管理人のくりです。
9月30日と、ちょっと前のことになりますが、フジテレビ「みのもんたのSOS」という番組で「液状化現象」について取り上げ、実験をしていたのを見ていた方はいらっしゃいますか?
バスの停留所やベンチ、自転車などを大型振動台の上に配置し、地震を再現することにより液状化現象の恐ろしさを体験する、というものでした。バス停セットのあとは、スタントマンをセットの上に立たせ、足首から徐々に埋もれていく恐怖も味わうという、ちょっと危険なシーンもありました。
この実験は、ハザマ技術研究所の地盤・耐震チームが段取りしましたが、その中心となって活躍した同チームの足立有史氏から後日談が送られてきましたのでご紹介します。
後日談は「続き」をクリック。
とあるプロダクションから今回の話があったのは8月の初頭。液状化を実大規模で再現し、被害のすごさを視聴者に実感してもらいたいという企画で、実験には本物の自動車やマンホールを使いたいという要望にビックリ。それはちょっと無理でしょう、と最初は言っていたのですが。
打ち合わせを始めた頃は、あまりにも話が大きすぎるし、コストを考えた企画ではなかったので、実験にかかる費用のことを話し出したらあきらめるだろうと思っていました。実際、これまでも広報を通じて「地震再現」の企画が持ち込まれたことがありましたが、コストが折り合わずボツになることがありましたし。
でも、今回は違っていました。どのような条件だったら再現が出来るかという相談を受け、その結果、ベンチ・マンホール・自転車・花壇などを土槽につめた実験地盤の上におくことが決定しました。(さすが、みのもんたさんの番組...)
実験当日はかなりハードな1日でしたが、とにかく無事に終了できることを考えていました。そして、実験結果がチームスタッフの想定どおりだったことは、担当者としてはかなりほっとしました。これは見学していた研究所スタッフも同じ心境だったようで、実験後の皆さんの拍手がとても印象深いです。
普段の研究では、このような規模・内容の実験は、なかなか実施できるのもではないですし、これまでに同様の実験はほとんど実施されていないと思います。今回は非常に良い(楽しい)経験をさせていただいたと思っています。
最後にオンエアーについてですが、正直なところ、あんなに長く取り上げられるとは思っておらず、親戚や知り合いにまったく連絡していませんでした。(以前にいた現場では、某テレビ局から一時間くらい取材を受けたのにオンエアーされたのは工事看板だけ、という経験もあったので)ちょっと心残りです。
(写真は右上が実験前、左下が実験後の様子)
2005年10月21日 15:19 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月18日
本日、プロジェクトX放送!
管理人のくりです。
ハザマ公式ホームページのプレスリリースでもご紹介していますが、NHK・プロジェクトXで先週の放送から二夜に渡って「黒四特集」が組まれています。
先週の放送では、このプロジェクトが計画される背景や、工事用道路として大きな役割を担った大町トンネルの様子が放送されました。今夜の第二話は、ダム本体の施工にスポットを当てた「ダム編」です。ハザマOB(お二人)がスタジオに登場し、建設当時の苦労を語ります。
放送時間は午後9時15分から。ぜひご覧ください。
(写真は当時の様子を再現するため、新潟県・広神ダム建設JVの現場でロケをしているところ)
2005年10月18日 14:11 | コメント (0) | トラックバック(0) |
国際雪合戦でベスト4を狙うぞ!
ありがたくも同期の鈴木くんからバトンを頂いた佐々木です。
私は、現在、新潟県魚沼市に建設中の新潟県発注の広神ダムに勤務しています。魚沼市は、日本一の「魚沼産コシヒカリ」の産地として有名ですが、日本有数の豪雪地帯でもあります。また、新潟県と言えば「越の寒梅」、「雪中梅」、「〆張鶴」、「久保田」等の日本の銘酒産地でもあります。お酒の大好きな私は、この美味な銘酒を飲み過ぎ、いつもヘロヘロになってしまいます。「気を付けねば、用心!」。
また、魚沼市は、国際雪合戦の発祥の地でもあり、毎年2月には世界各国から100チームを超える「つわものドモ」が終結し、世界一を決定すべく、熱戦が行われます。我が広神ダムJVチームは、この国際雪合戦大会に毎年2チームずつ参加しており、昨年は念願の決勝トーナメント進出を果たし、今年は世界のベスト4入りを狙って演習に励んでいるしだいです。
私がいる広神ダムは、昨年7月の集中豪雨による越流、10月の中越地震、今年に入り6月と8月に再度二回、堤体越流と度重なる自然災害を受けている非常に過酷な現場です。
写真は堤体越流後(昨年7月)の上流仮締切の状況です。上流二次締切下部が濁流に洗掘され、宙ぶらりんになっているのが分かるかと思います。水の威力を改めて思い知らされた気がします。
個人的な話をさせてもらうと、昨年3月に、現場から車で約1時間のところに位置する柏崎市という街に念願のマイホームを構えました。柏崎市は世界一の刈羽原子力発電所と北朝鮮拉致被害者代表の蓮池薫さんの地元として有名です。夏は、海水浴客で大変賑わう街です。皆さんも一度、柏崎に遊びに来て下さい。
今後将来、ハザマと柏崎をこよなく愛し、可愛い二人の娘の成長を見守りながら、楽しく仕事していければと考えています。鈴木くん、これからもよろしく。一緒に頑張ろう!
では、次は同じく同期の大谷くん、よろしく頼みます。

2005年10月18日 09:32 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月14日
「Siteseeing tour」次回は英彦山神宮です
ご無沙汰してます、管理人 ろうこです!
先日、「Siteseeing tour」第3回目、英彦山神宮の取材に行って来ました。前回の長井ダムと違って、今回は建築現場だから、そんなに歩かなくて大丈夫だよね~、なんて話しながら取材した3人。取材前日
は、現場近くの「ひこさんホテル和(添田町HP内)」に宿泊しました。2年前に完成したこのホテル、ハザマの施工です!露天風呂もあってステキですよ。ちなみに、写真の左に小さく写っているのは、現場の酒見所長です。
夕飯を食べながら、「所長がホテルのすぐ近くだっておっしゃってたから、10分前にホテルを出ればいいよね」と話す私に、フジタさんが一言「田舎の”すぐ”って危ないよ・・・」。早速、ホテルの従業員の方に確認したら「歩いて30分くらいです」。あー・・・。
で、次の日、山道をえっちらおっちら登る3人。しかも、途中迷って、所長に電話で「その大きな木のところの立ち入り禁止を入ってきてね!」と教えていただいても、同じような場所がいっぱいあって、それはいったいどこの木?ご迷惑をお掛けしながら、やっとたどりつきました。
今回の現場は、台風で被害を受けた重要文化財・英彦山神宮奉幣殿の保存修理工事です。こちらの写真、なんだか分かりますか?
これは、奉幣殿の屋根なんですが、木の板でつくられています。いったいどうやってつくられているのか?それは、本編に詳しく書いてありますので、お楽しみに!
2005年10月14日 16:32 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月12日
明治神宮薪能御礼
管理人のくりです。
一昨日の体育の日、このブログで何度もご紹介した「第24回明治神宮薪能」をハザマの奉納協賛行事として開催いたしました。昨年の第23回は台風の直撃を受け、屋内での開催を余儀なくされたため、今年はどうにか拝殿前の特設舞台でおこないたい、とスタッフ一同祈っておりましたが、残念ながら当日は朝から雨。ピンポイント予報でも、「開催時には一時的に上がることはあっても小雨は避けられない」というデータでしたので、当日午前9時には屋内(神宮会館)での開催を決定いたしました。(ちなみにこのピンポイント天気予報ですが、数年前の開催時には開演直前のにわか雨をピタリと当て、その精度にビックリしました)
屋内での開催とはいえ、狂言は人間国宝の野村萬氏、能は金剛流シテ方二十六世宗家の金剛永謹氏による番組ですから、小雨が降り続く中を来場していただいた約1800名のお客様も、きっと満足していただけたのではないかと思います。なお、来年も同時期の開催を予定していますので、今年の抽選に惜しくも外れた方も含め、ぜひ一般応募にトライしてみてください。来年こそは、晴れ渡る秋空の元、神宮の杜に響く謡の声があなたを迎えてくれるはずです。
管理人くりの感想は「続き」をどうぞ。
私は演者関係の裏方をしていたのですが、毎年この仕事をしていて感動するのは演者の方々の意気込みというか、集中度の高さに身が引き締まる思いです。今回の能「絵馬」では、中入りと言って、シテ(主役)が一度舞台から降り、衣装を着替えて役柄も変わり再登場するのですが、私はシテ(金剛永謹氏)が衣装を着替えられているところに立ち会っておりました。
中入りの間は、アイ狂言の役である野村扇丞氏が舞台で舞っているわけですが、その数分間でシテは衣装を変え、能面を取り替えるのです。シテの周りには後見(こうけん:演者の装束を直したり、小道具の準備をする人たち)の方々が総出で着替えの作業をしています。今回ご出演いただいた金剛流は京都の流派。太平洋戦争の戦禍にあわなかった京都の流派ですので、古来からの能装束が多く残されているとも聞いていましたので、間近で見ている私も緊張してその作業を見ていました。もうそろそろアイの人が降りてくる、という直前まで着替えの作業は続きます。「間に合うのかなー」とハラハラしたのは素人考えでした。いつもこの薪能でお世話になっている高橋汎氏(金春流シテ方)もその場に立ち会っていただいていたのですが、その場に居合わせたカメラマンが「どうにか間に合いましたねー。危ない時は合図でも出すのですかね」と感想を述べたところ、高橋氏曰く「間に合う」のではなく、「かならず間に合わせるのですよ。支度をしながらシテや後見はアイのやっていることを把握しているのです」ときっぱりとおっしゃっていました。すごいです。
今回の能「絵馬」は演ずる方の人数が多く、また舞がクライマックスに近づくに連れて激しくなること、そしてきらびやかな柄の装束が揃うことなどから視覚的にも十分楽しめたのではないでしょうか。これが、薪のかがり火に照らされていたらもっと荘厳な雰囲気になったろうにな、と最後までお天気のグチになってしまう管理人でした。
2005年10月12日 13:29 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月07日
私は転勤族!
新生ハザマ改革派の旗手 宮田君からバトンを受け取った鈴木です。先日、Site Seeing Tourで紹介された長井ダムの現場で働いています。
入社して配属された研究所から転勤して以降、埼玉県→富山県→新潟県→石川県→そして現在の山形県と、根無し草のように3年から4年の周期で異動を重ねてきた俗に言う転勤族です。一般に転勤といえば悪いイメージが先行しがちですが、地方にある一定期間住み着くと、その土地の風土をじっくりと楽しむことができます。
お祭りが好きな埼玉県秩父地方。ここでは秩父夜祭が有名で、いつも町のどこかしこから太鼓の音がトンコトンコと響き渡り、いつのまにか相槌を打って自分も太鼓を叩いている気分になっていました。富山では砺波平野の散居や畑一面のチューリップの絨毯、
黒四がある雄大な立山連峰、富山湾のブリを楽しむことができます。新潟では地酒・お米・黒崎の茶豆を味わい、石川ではドラマ「利家とまつ」で有名な加賀百万石の歴史と文化、それと蟹ですよね。ズワイ蟹のメスをこの地方では香箱蟹と言うらしい
ですが、その外子と内子がなんとも言えず美味!堪能させてもらいました。
現在、山形県の酒田市に居を移したわけですが、ここはいうまでも無く「おしん」の舞台となったところです。以外と知られていませんがラーメン・ワンタンメンがおいしいところです。地元では酒田ラーメンと言われていて、そこの多くのラーメン屋さんでは、とびうおの丸干などからとった和風だしをベースとしていて、透明感のあるふわりとしたワンタンと非常にさっぱりとしたラーメンの絶妙な組み合わせを頂くことができます。近くにお寄りの際はぜひご賞味下さい。あーお腹いっぱい!
何だか、書いている内容のほとんどが食べ物の話になってしまいましたが、いつの間にか私も二児の父。5年生と2年生の娘がいますが、今回の転勤に際しては、やはり子供たちもストレスがあったようです。どちらかといえば関西系のノリの石川から、おっとりとした風土の庄内地方に住むことになり、だいぶ戸惑っていたのかも。
でも、この間、帰宅した時に娘がなにやら箱を私の前に持ち出し、おもむろに箱を開けて少し汚れた金色に光る楽器を差し出して、「私、学校でトランペットやるんだ」と言って、うれしそうに一音“プッ”と吹いてくれました。下の娘も「私も!」といいながらジャレ合っているのを見るのにつけ、何とかここでも暮らしていけるなと実感しました。
最後に、日本海側での仕事が多いせいか、いつも海に沈む夕陽のきれいさには感動させられます。この前「本当に大きな太陽が海に沈む時、海の水がジュッと音を立てているようだね」と地元ラジオの番組で言っていましたが、まさにその通り。春から秋にかけて、夕方の日本海沿岸ドライブに出かけてみてはいかがでしょうか?
それでは、新潟県中越地震や水害等で大変な現場にいる佐々木君にリレーします。よろしく!
2005年10月07日 14:13 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月06日
「世界ふしぎ発見」でハザマの現場が!
管理人のくりです。
TBS系列の人気番組「世界ふしぎ発見」のスペシャル番組にハザマJVの工事現場が登場します。その現場は横浜高速鉄道(地下鉄)の4号線を建設中の高田西作業所と称しているところで、ハザマの他、大豊建設、福田組、森本組の4社の共同企業体によって施工中です。
放映日時などは下記のとおりです。「地下鉄のトンネルってどうやって掘ってるの?」と常々疑問に感じている皆さん、ぜひこの機会にご覧ください。
放映日時:2005年10月8日(土) 21:00~22:24
番組名:TBS系列 「世界ふしぎ発見!スペシャル」
詳細は「続きを読む」をクリックしてください。
今回のスペシャル番組のテーマはブラジル。アマゾンに生息するフナクイムシという生物がシールド工法を生み出すヒントになったことに関する問題が出題されます。その問題に対する回答解説VTRとして、実際のシールド工法の紹介が映像として流されますが、その撮影現場に高田西作業所が選ばれ、去る8月25日に現場で取材と収録がおこなわれました。
番組内で使われるVTRでは、高田西作業所の一関所長が現場坑内において、シールド工法について解説をする場面が使われる予定です。
2005年10月06日 21:17 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月03日
明治神宮薪能の演目解説(能)
管理人のくりです。
昨日のエントリーに続き、今日は能「絵馬」についての演目解説です。当日は、野村萬氏による狂言「末広かり」に続き、短い休憩を挟んで金剛永謹氏による能「絵馬」が始まります。
さて、「絵馬」のあらすじと金剛永謹氏の略歴につきましては「続きを読む」をクリックしてください。
能「絵馬」 (えま)
節分の夜、伊勢斎宮に絵馬を掛ける神事を前段に描いて、「五穀豊穣」「万民快楽」の泰平をことほぎ、後談では、天照大神の岩戸隠れの神話を再現する、のどかで神々しい、そして壮大な能です。
勅使が伊勢神宮に詣でます。日照りを願う白い絵馬を持った老人と、雨を占う黒い絵馬の老女の二人が登場し、それぞれの絵馬を掛け争うのですが、仲良く「ふたつの絵馬を掛けて。万民楽しむ世となさん」と納まります。絵馬を掛けるから「かけて」という言葉を連ねる、洒落た詞章が謡われ、自分たちは伊勢のふたはしら二柱の神と明かして消え失せる、「中入リ」です。
狂言方の扮する蓬莱の島の鬼が登場し、打出の小槌で宝を打ち出して神に捧げます。
後シテは、アマテラス。女神で演ずるのが金剛流と観世流。男神に出で立つのが宝生流と喜多流(ただし女体の演出あり)です。
金剛流では位の重い、むしろ静かな「神舞」に凛然たる透明感が表現され、悪神を懲らしめるために岩戸へと隠れてしまわれます。黒白の絵馬をかけた作リ物が、再び効果的に用いられます。
神の心を鎮める、巫女・アマノウズメののびやかな「神楽」は、力神・タジカラオの急調な舞へ引き継がれ、舞台は三人三様の舞の幻想に彩られるのです。
岩戸を少し押しあけた大神を、タジカラオが外にお連れ申し、「国土も豊かに月日の光の。のどけき春こそ久しけれ」と終ります。
(以上の演目解説は、実行委員の増田正造氏執筆により、当日入場の際に配布されるパンフレットに記載されているものです)
金剛永謹(こんごうひさのり)
昭和二十六年生まれ。金剛流宗家。先代宗家金剛巌の長男。能大夫らしい風格と、闊達な芸風に定評があります。特に「絵馬」は、金剛流が「家の能」として大事に扱う曲で、作者は金剛流の先祖と伝えられます。
2005年10月03日 15:50 | コメント (0) | トラックバック(0) |
2005年10月02日
明治神宮薪能の演目解説(狂言)

管理人のくりです。
このブログでもご紹介させていただいております「第24回明治神宮薪能(ハザマ奉納協賛)」の開催まで約一週間を残すばかりとなりました。演目などにつきましては、この開催概要を書いたエントリーのとおりですが、当日の演目について本日と明日の二日間に分けてご紹介していきたいと思います。
開催当日は午後6時の開演後、まず明治神宮薪能実行委員長の犬丸直氏(日本芸術院)とハザマ社長の新名順一による火入れ式が厳かにおこなわれ、拝殿前に設けられた能舞台の脇に置かれた薪に火がつき、薪能開演が告げられます。
次に明治神宮薪能実行委員の増田正造氏による演目の簡単な解説のあと、野村萬氏による「末広かり」が始まります。その「末広かり」のあらすじにつきましては、「続きを読む」をクリックしてください。
狂言「末広かり」 (すえひろがり)
めでたい狂言の代表作として、祝賀の演能や結婚式の祝儀として、よく上演されます。
今年は明治神宮鎮座八十五年。能の「絵馬」とともに、特に選ばれた演目です。
天下納まりめでたい御代。大果報の者が、正月の引き出物に末広がりを進上しようと、太郎冠者を都に派遣します。
末広がりがなんであるか知らぬ太郎冠者は「末広がり買おう」と、都を大声で呼び歩く始末。都のスッパ(掏摸、詐欺師の類)がそれを聞きつけ、自分がその末広屋の亭主と偽って、古い傘を高値で売りつけるのでした。
意気揚々と帰宅した太郎冠者は、主人に叱られ、「扇なら扇と、最初から言ってもらいたい」という口答えに、とうとう邸から追い出されてしまいます。
都の者がオマケに教えてくれたのはここのことかと、「笠をさすなら春日山。それも神の誓いとて。人が傘をさすなら。我も笠をさそうよ。げにもさあり。やょがりもそうよの」と囃子物を始めるのでした。都にはやる新しいリズムにすっかり乗せられて主人も浮かれ出し、めでたしめでたし。シャギリという短い笛の独奏も祝言を盛り上げます。
(以上の演目解説は、実行委員の増田正造氏執筆により、当日入場の際に配布されるパンフレットに記載されているものです)
野村萬
昭和五年生まれ。名人六世万蔵の長男。芸境自在の域に達し、芸術院会員。徳川夢声、坂東三津五郎、中村歌右衛門に続いて芸団協(日本芸能実演家団体協議会)会長の要職にあります。現野村万蔵は萬の次男。
2005年10月02日 09:01 | コメント (0) | トラックバック(0) |